講演会「嵯峨大念仏狂言の歴史と今」盛況裏に
11月14日 参加者の狂言面着用体験も
令和元年11月14日、当さらんネット特別無料講演会(京都学・歴彩館府民協働講座)が『嵯峨大念仏狂言の歴史と今』と題し、約70名の参加を得て開催しました。講師は当さらんネット副理事長の加納敬二さん。
嵯峨大念仏狂言が執り行われる清凉寺は、嵯峨天皇の皇子源融(みなもとのとおる。光源氏のモデル)の山荘を寺に改めた棲霞寺(せいかじ)がその原型と伝えられる。奈良東大寺の僧奝然(ちょうねん)が中国(宋)に渡って修行の後、釈迦尊像を持って帰国。釈迦像は一時上品蓮台寺に安置され、没後、弟子の盛算(じょうさん)が師の遺志を継いでこれを移し創建したのが清凉寺である。
この釈迦像は国宝で清凉寺式釈迦如来と呼ばれ、尊像胎内に絹で出来た人間の内臓の模型があり、非常に珍しいことで有名である。
また毎年3月15日のお松明式は、釈迦涅槃(ねはん)の荼毘(だび)を暗示する行事で、三基の大松明は三種の稲(早稲、中稲、晩稲)の豊凶をも占うもので京都三大火祭り(鞍馬の火祭り、五山の送り火)の一つである。
さて本題の大念仏狂言。雅楽が奈良時代に中国大陸より伝わり、平安時代に変化した様に、能と狂言の元祖も奈良時代に大陸から伝わってきた散楽が平安時代に変化して猿楽に変わったことは雅楽とよく似ているところがある。
この猿楽が歌舞劇風になったのが能であり、喜劇風になったのが狂言である。故に能と狂言は密接な関係にあり能と能の間に狂言が演じられる事がしばしばある。
狂言の創始者は鎌倉時代中頃の僧、円覚十万(えんがくじゅうまん)上人である。最初はJR花園駅近くの法金剛院(蓮寺とも言われ、国の特別名勝の青女の滝、夏の蓮の花も有名)を本拠として壬生や嵯峨に広められた。これは仏教の布教のため仏の教えを説いたものである。京都には三大念仏狂言がある。壬生寺の壬生大念仏狂言、引接寺の閻魔堂大念仏狂言、嵯峨清凉寺の嵯峨大念仏狂言である。
壬生、嵯峨は狂言面をつけての無言劇で、引接寺は有言劇であるのが特徴であるとの説明を受け、講演を終えた。
質疑応答に入り、狂言の面の保管場所は? なぜ狂言なのか? 能と狂言の面の違いは? 等々活発な質問があり講師の加納氏が丁寧に解かりやすく応答しました。
最後に注目の狂言面の着用実技が行われた。二人の女性がこれに参加し、会場は興味津々で一瞬固唾をのむ静寂。素晴らしい雰囲気に包まれて大好評のうちに講演会を終えることが出来ました。(中村吉男)
【2019年11月22日更新】
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嵯峨嵐山に多くの遺産、秦氏一族の功績をしのぶ
7月18日 歴彩館共催の歴史講座第1回 盛況裏に開催
NPO法人さらんネットの歴史講座「京都の歴史のルーツを探る/嵯峨野地域の歴史について 特に嵯峨野の古墳群」が、2019年7月18日、午後3時より京都学歴彩館にて開催された。当NPOでは定例の講演会を毎年開催しているが、今年後より京都府歴彩館との共催で開催することになり、今回はその第1回。今年度中に更に2回開催する。
埋蔵文化財の権威で当さらんネットの加納副理事長が講師を務めた。参加者は95名で盛会裏に開催する事が出来た。(写真上)
7月6日にユネスコ第43回世界遺産委員会で仁徳天皇陵古墳が世界遺産登録に決まったこともあり、古墳には関心が高まっている。そうしたなか、講座の話は渡来系の蘇我氏(仏教)と物部氏(神道)の宗教的争い、飛鳥時代につらなる雄略天皇(第21代)が秦酒公を統率者とした頃のいきさつ、秦氏一族が推古天皇(女帝)の時、秦河勝が聖徳太子から仏像弥勒菩薩像を授かり広隆寺を建立したこと、秦氏ゆかりの地京都、嵯峨・嵐山に広隆寺(秦河勝)松尾大社(秦忌寸都理)伏見稲荷大社(秦伊呂具)蚕ノ社等々を建立したこと。また、暴れ川だった桂川を先進の土木技術で井堰、灌漑、堤防を築き御築き穀倉地帯に変え、稲作、養蚕、機織りの産業を興し、都市区域から離れた山紫水明の地に多くの古墳(天塚古墳、蛇塚古墳・・・)を築いた事などが解説された。
講座終了後、質疑応答で、聴講者から活発な質問があった。
秦氏一族の功績は偉大無比で、嵯峨、嵐山には身近な所に貴重な歴史的遺産があり、大切に保存し次世代へ継承を義務付けられている事を改めて認識する講座でもあった。
【2019年7月23日更新】
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文化講演会は盛況でした
「ブラタモリ」の梅林秀行さん
最新の知見から京都、嵯峨嵐山の地形を読み解く
2月16日、右京ふれあい文化会館で、当さらんネット主催の文化講演会が215名の参加者をえて行われました。講師はNHKの人気番組『ブラタモリ』の案内役として最多出演され、タモリさんから全幅の信頼を得ておられる「京都高低差崖会」崖長・梅林秀行さん。
講演は、梅林さんが独自の視点から街歩きを何度も重ねた上に最新の知見を織り交ぜた京都にまつわる興味深いお話。『ブラタモリ』の裏話も交えつつ、京都、嵯峨・嵐山の地形と歴史を紐解いて頂きました。
(2019年2月)
●梅林秀行先生プロフィール
・京都を中心とした凸凹地形を探索する「京都高低差崖会」で活動中。
・まち歩きガイドもつとめる。NHK テレビ番組「ブラタモリ」準レギュラー。
・最新出演は2018年4月放映の「京都・銀閣寺編」及び「京都・東山編」。
・著書に『京都の凸凹を歩く』1&2巻(青幻舎)。「まちが居場所に」をモットー
に、街の日常と物語から生まれたメッセージを大切にしている。
・趣味は銭湯へ通うこと。おいしいくるみパンを探すこと。
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平成30年度文化講演会
「鎌倉との比較」から見た“中世の嵯峨” を聴いて
山田邦和・同志社女子大学教授による中世・嵯峨の都市像の発見
「嵯峨は単なる郊外ではなく、京都の観光地の中でも数少ない重層した歴史が感じられる場所です」
古代-中世の考古学を専門に京都の遺跡巡りを続ける山田邦和教授(59)は洛中を中心とした中世京都像ではなく、洛中と周辺地域が有機的につながってひとつの都市圏を作ったとする新たな都市像「巨大都市複合体」を提唱する。それを構成する「衛星都市」の代表格が嵯峨なのだ。
以下は山田先生の講演要旨。(加納敬二)
【当NPOの出版事業第5弾『嵯峨野誕生物語』発刊記念講演会です】
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鎌倉から室町時代へ
上京と下京からなる京都・洛中は、確かに当時の超巨大都市でした。しかしそれだけでは完結しませんでした。中世国家の本質は武士や天皇、寺社など多様な権力が絡み合って民衆を支配したことにありますが、京都も同じです。幕府に支配される洛中だけでなく、周囲には御室や伏見、南禅寺など小さな衛星都市が散らばり、多様な権力がモザイク状に絡み合っていました。だからこそ首都でもあったのです。中心になる巨大都市と衛星都市が有機的につながり、都市圏をつくっていた。まさに中世の京都は巨大都市複合体だったといえます。
都市の様相を示す
その最大の衛星都市が嵯峨でした。平安時代から室町時代にかけ、嵯峨の変遷を示す5点の絵図が残っていました。それらを見ると、平安時代の嵯峨に、まず嵯峨天皇の皇子、左大臣源融(みなもとのとおる)が別荘を建てます。衰退して後に寺院になり、ここにやがて清凉寺(せいりょうじ=嵯峨釈迦堂)が建立されます。このため、同寺の境内には 源融を祭るお堂があります。また近辺には嵯峨天皇の皇后、橘嘉智子(たちばなのかちこ)の檀林寺をはじめ天皇の関係者が別荘や寺を築き、嵯峨は単なる農村でなく都市としての様相を示し始めました。
※嵯峨では以前、小倉百人一首をテーマにする観光施設「時雨殿」建設(右京区)に伴う発掘調査で、鎌倉時代に後嵯峨上皇が造った離宮「亀山殿」の庭園遺構が初めて発見されている。
院政王権都市の「朱雀大路」
鎌倉時代の「亀山殿」は後嵯峨上皇の遊学の場でした。上皇は、吉野から嵐山に移植した何百本もの桜をこの亀山殿から眺めて楽しみました。亀山殿の周囲には貴族や武士の邸宅も並び、清凉寺の前から大堰川までメーンストリートが築かれます。今の天龍寺の前の通りです。人々はそれを「朱雀大路(すざくおおじ)」と呼びました。平安京のメーンストリートと同じ名称です。都に匹敵する大路であると人々の強い意識があったのでしょう。近くには藤原定家の別荘や法然ゆかりの二尊院もあり、亀山殿を中心とした「院政王権都市」だったことが偲ばれます。
清凉寺と鶴岡八幡宮
最も注目されるのは、当時の嵯峨と幕府があった鎌倉が似ていることです。清凉寺と鶴岡八幡宮というそれぞれの宗教施設からメーンストリートが伸び、水面へつながる。東西の王権が期せずしてほぼ同形、同規模の都市を造った。鎌倉は京・洛中と比較されてきましたが、規模や地域性から嵯峨と比べるべきだと思います。
南北朝時代には後醍醐天皇が登場して院政を否定するため、亀山殿は解体されます。室町時代にかけて嵯峨一帯は、王権都市から宗教都市の性格を帯びてきます。
※山田先生によれば、嵯峨の最盛期は室町時代半ばで人口は8千人から1万人。地方都市としては超巨大都市といえる。この頃の洛中には十数万人が住んでいた。
嵯峨・歴史の奥深さ
亀山殿の跡地に足利尊氏が天龍寺を創建し、臨川寺なども建ちます。これらを中心に百数十の寺院、数百軒の民家が立ち並びました。僧侶の衣を染める 紺屋=藍(あい)染屋など寺院に関連する仕事も多くありました。しかし、応仁の乱によって天龍寺が焼けるなどして嵯峨は大きな打撃を受けてしまいます。
このように嵯峨の歴史を考えると中世の京都像はより豊かになります。洛中だけでなく、嵯峨にも歴史が幾重にも重なり、その奥深さを感じられるのです。鎌倉時代の「院政王権都市」、室町時代の「宗教都市」をキーワードに嵯峨を見つめなおそうということです。(2月17日 京都ひとまち交流館にて)
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『嵯峨野誕生物語』発刊(近日発刊予定)記念講演会
平安・鎌倉時代の嵯峨の実像に迫る
同志社女子大学教授 山田邦和教授が語る
さらんネット恒例の春の文化講演会が2月17日、京都市下京区のひとまち交流館で開催されました。今回の講演会は、当NPOの出版事業第5弾『嵯峨野誕生物語』発刊記念講演会です。講師は同志社女子大学教授で考古学や都市史学がご専門の山田邦和教授。「鎌倉との比較から見た中世の嵯峨」と題し、平安時代から残された貴重な地図など豊富な資料をもとに、平安京の欠くことのできない衛星都市だった嵯峨の位置取りについて約一時間半にわたり講演して頂きました。(写真上)
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文化講演会報告
平成29年度 文化講演会
日時:平成29年2月11日(土) 14:30開場 15:00~17:00
場所:京都市 ひと・まち交流館
演題「嵯峨育ちから見た嵯峨野観光」
講師:井上章一 様(国際日本文化研究センター教授)
京都大好き?!「京都ぎらい」
井上章一先生講演会 奥深い歴史と郷土愛を語る
2月11日、当NPO法人主催の文化講演会が、井上章一先生を講師に招き河原町五条の「京都市
ひと・まち交流館」で開催されました。テーマは「嵯峨育ちから見た嵯峨の観光」。井上先生の著書『京都ぎらい』でも紹介された、洛中とは好対照の歴史を持つ嵯峨。ここに育った独特の郷土愛を自身の体験を通して優しく語って下さった。以下、参加者から寄せられた感想を掲載します。(写真上=井上先生)
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「“嵯峨そだち”から見た嵯峨の観光」を聴講して
さらんネット運営委員 春田正弘
井上章一先生の標記講演を聞いた私の感想です。
花園に生まれられ、幼児から高校時代まで嵯峨に在住された同氏の青春時代のエピソードを中心に話されたものやわらかいトーンのお話は、嵯峨に住んでいる私には、大変懐かしいものでした。
私も嵯峨小学校の生徒であった頃、映画の撮影には、天龍寺や、清凉寺、大覚寺などよく出かけて行ったものです。舞台が江戸なのにどうして嵯峨での撮影?と思ったことは度々ありました。
先生の高校時代、つまり1970年代頃は、確かに嵯峨も女性の観光客が多く見うけられましたが、私には残念ながら先生のように女性を案内するようなトキメキはありませんでしたが……。今では様変わりに外国の観光客が増えています。私も定年退職後、15年間、ガイドで何度観光客に嵯峨をご案内したか、いい想い出ですが。
先生の著書である『京都ぎらい』を私も読ませてもらいました。私の感想では「京都ぎらい」どころか、講演を聞いていても本当は京都が大好きな方のように思えました。
講演の途中に、ピアノでのジャズ演奏2曲を弾かれたのには驚きでした。初めての体験でした。本当に講演を楽しませて頂き、嬉しかったです。(2017年2月11日)
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文化講演会報告
平成28年度 文化講演会
日時:平成28年3月13日(日) 15:00~17:00
場所:ハートピア京都
演題「日本人と宗教心」
講師:山折哲雄 様(哲学者)
平成28年 さらんネット・文化講演会
ガイドブック「続・京都 嵯峨・西山歩きま専科」発刊記念講演 終了しました。
山折哲雄先生に聞く「日本人と宗教心」
*NPOさらんネットが今回発刊する「続・京都 嵯峨・西山歩きま専科」は、嵯峨、西山・大原野に加え京北町など、京都のウエストサイドの「みち」をキーワードに紹介しています。史跡・遺跡や多くの文化遺産がある歴史的にも重要な場所です。
今回の講演会は、山折哲雄先生に「京都のウエストサイドの山間部に、多くの寺院が建立された宗教的背景や日本人の宗教観」等についてご講演を頂きました。
◆山折哲雄先生プロフィール
1931年サンフランシスコ生まれ/1954年東北大学文学部インド哲学科卒業/同大学院卒
2001年国際日本文化研究センター所長、名誉教授/国立歴史民族博物館名誉教授/夕焼け京都
熟塾長/2001年京都新聞大賞文化芸術賞/2003年NHK放送文化賞
主な著書:「坐の文化論」/「神と仏~日本人の宗教観」/「日本文明とは何か」/「日本のこ ころ、日本人のこころ(上・下)」他多数
日 時:平成28年3月13日(日) 14:00開場 15:00開演
場 所:京都府立総合社会福祉館「ハートピア京都」3階大会議室
●お陰さまで、盛会裏に終了しました。
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平成27年度 文化講演会
日時:平成27年2月14日(土) 14:30開場 15:00~17:00
場所:京都市右京区役所・さんさ右京 5階大会議室
演題「嵯峨・嵐山の古墳群」
講師:加納敬二 様(京都市埋蔵文化研究所)
「京都 嵯峨・西山歩きま専科」発刊記念講演会
「古(いにしえ)の京を知り、今を歩く」
日 時:平成27年2月14日(土) 14:30開場 15:00開演
場 所:京都市右京区役所 サンサ右京5階 大会議室1・2
参加来場者:78名
第1部 15:00~16:25
演 題:「嵯峨・嵐山の古墳群」
講 師:加納 敬二 様 京都市埋蔵文化財研究所
嵯峨・嵐山の遺された遺跡や古墳の事例を説明頂き、当時の社会や人達の生活等を分かり易く講演して頂いた。 |
第2部 16:35~17:10
演 題:「山登りの心得」
講 師:四方 宗和 様 京都府山岳連盟会長・京都一周トレイル会会長
安全で楽しい山歩きをする為に、必ず守らなければならないマナー や心掛けについて登山歴50年のベテランのお話をお聞きした。 |
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平成26年度 文化講演会
日時:平成26年2月22日(土) 14:30開場 15:00~17:00
場所:西陣織会館 7階第1会議室
演題「明治期の京都復興と美挙」-ラストサムライ 山本覚馬-
講師:郷土史家 水島 勝寿 様(会津会 幹事)
約50名の参加者があり予定通り盛会裏に開催した旨事務局より報告があった。